〈RINEX〉RIN'S EXPRESSION

Rinの日々の気づきを表現していくブログ

しがつ

卯月

 

だっけ?

 

 

あと数時間後には

しがつ。

 

自分を客観的にみることが

できない

 

特に

わたしむたいに余計なもの他人のごみばかり

収集してるようなフィルター人間にわ。

 

あれやれこれやれ

 

それができるのは

自分のためのスペースがあいてるひとだけ。

 

 

余地面いな。

 

悲しいときや寂しいとき

切ないとき

それを通り越し理解したとき悔しくなって

理不尽というなの誘発材

虐殺器官ともとれる怒りが姿を表す。

 

わたしはひたすら

自分にむいた。

 

虐殺してたとおもう

もともとあった全細胞を。

 

かわいそ。

 

だから

どうせ怒りを露にするなら

他人に向けた方がいい。

と、わたしはあえて断言する。

 

優しさは他人をくっっっそ楽にする

けど

自分を殺すよ。簡単に。

一秒もせず数年、一生単位の墓場行き。

 

優しいひとが生きていけるほど

やさしい世界ではないし

やさしい人間はいない。

大人はただとしくってるだけだ。

尊敬する人はそのめでみきわめろ。

大体は

理不尽きめこんで

嘘を真実だと思い込んで

やさしさにつけいって

そいつらを公開処刑してる。

 

そんな世の中にいて

まだ自分をせめるか?

せめたら他人は(くっそ)楽になるよ

 

あーわたしのせいじゃなかったって

認めたわこいつーーー

ふぅーーーーーー

 

って

思いながら

そうかそうかってなだめはじめる。

 

それをみて

まわりは

あらぁよかったわね奥さん

これからがんばろうねお嬢ちゃんとなる

 

思い込みではなく

そうなんだよ。

 

みえてるよ

本当の気持ちなんて。

 

 

 

大切なひと

とか

特別なひと

 

ってくくりが

もともとなかった。

 

そう感じたことがなかったからだと思う。

唯一の存在

なんて感じたことはなかったし

なんで生んだの

って思って

顔に嘘つけて生きてた。

 

いつかそんなことないとわかるとおもって

 

 

でもそれで

結局わたしはこうなった

大人になって現れた人格の歪みは

当人のせいにされる。

 

まさに毒親社会

ご都合主義

 

だったら干渉してくんな

 

幸せではない

からだをぶちこわしてまで

今後一生残る依存までからだにとりこんでまでして

わたしは幸せにはならなかった

 

自分を虐殺したけっかがこれだ。

他人が楽になることをしてきたけっか。

 

話をしても

なにも言わず無視され

なんとトライしても

不都合なことはとことん無視してくるひとが

いちばん近くの大人だった

 

だから自分を虐殺して

示すしかなかった

 

ふざけんなよ

わびろ

 

つて。

 

 

ても結局

そういうひとたちは絶対に

謝ることをしない。

 

相手を謝らせるために

全力をつくすだけだ。

 

 

 

 

 

だからわたしはいう

 

他人なんて

自分のためだけの足の踏み台にしていきればいいと。

 

むしろそうでしかないのだ

本当は。

 

やさしい言葉では助け合いとか言うが

同じ構図。

 むしろそのくらいの強さのある言葉でないと

この空気からはだっせない

 

みんなが

自分のために生きる

 

それが真なんだよ。

 

迷惑ってのは

ほんとうにいま私たちが刷り込まれてきた意味通りの意味なのかな

 

窮屈で息苦しい

そういうエネルギーは

うまれたばかりの言葉にはぜったいにやどらない

 

プラスなエネルギーで

言葉を再定義しないといけない。

 

 

 

わたしは

自分を殺すくらいなら

相手にあたれと断言する

 

自分を殺してできた傷は

その相手は100%といっていいほど

治そうとはしてこないだろう

それどころか

わたしのほうがつらい!!!

という日本お決まりの苦しさ選手権がはじまり

論点からずらされる

 

だからいう

他人から受けた傷にたいして

他人に返せ

自分に返すな。

 

ストレートに表現することをなくして

ねちっこさが大人だとアホみたいに認識してるひとたち

 

それが都合主義。

自分がしたことは

自分がしりをぬぐう

 

だから

殴ってしまったら

殴り返されて当然なんだ。

そこできづくから。

 

自ら相手を殴っといて

殴り返すのは大人じゃない

っていい

殴り続ける

 

それがいまの

この都合主義社会 大人

そして迷惑という嘘の意味が蔓延した結果。

 

 

後遺症は、

自分を焦がしてしまうほどの

憎しみ

恨み

といつも同居しないといけないこと

 

大切だと世間的に思われてるひとを

死ね

と思う感情と同居しないといけないこと

(だいすきです♡ていえるならそっちのほうがずっと楽。生き地獄)

 

そして

一生つきあう自分を虐殺するくせがついてること

一生つきあう体にエネルギーのよどみセルライトをつけまくり本来の美しさを完全にうばわれること

 

依存の甘さは一生溶けない

そこから

大切なひとという関係をつくりづらくなること

寂しかったら依存対象に傾倒してしまう

 

 

 

 

 

 

などなど

 

いくら

あやまれよ!!!!

といったところで

そいつが

わたしのからだになってくれはしない

 

 

同じ生き地獄も味わせることも不可能だ

 

 

 

そうやって

どんどん

重く気持ちの悪い荷物がふえていく

 

そうすると

自分の感情はそいつらにうもれてみえなくなるんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは断言する

他人から受けた傷は

自分へ返すな

他人へ返せ

 

捨てられ処分された

喧嘩する力 

そのラケットをもう一度取りに行け

そしておもいっきりラケットふって

そいつの顔面めがけてスマッシュ

 

 

殴っちゃいけないよ

っていいながら、

喧嘩のしかたを奪っておきながら

相手を殴り続ける人に

 

容赦はいりません。

 

 

 

 

けっかだけど

けっかとしてそっちのほうが

相手もいいんです。

実証もえている。

 

憎しみというのはリミットがあり

それをこえると

簡単に人をも殺せてしまうので

殴ってることにきづけや!と思って

そのとき殴りましょう

そうでないとそいつが遠くない未来復讐にでてくるでしょう。

 

それに

ひとを殺したいほどの憎しみは

もってるだけで

自分をも殺します。

 

ここからはじまる美しい未来に

そんなものはいりません。

 

 

足を引っ張らないでと

みんな発してる。

 

 

 

また追記にはなるが

自分への虐殺の最終形態は

『大嫌いな奴に自分が変容すること』です。

自分を苦しめた対象や出来事を

自分でもしでかすことで

完全自分虐殺ループができあがり

相手を非難する気持ちもなくなります。

 

表面で言うやさしいひとは

非難したくないらしい

だから相手を取り込み正当化する

 

 

でも

自分の魂は虐殺をうけてることを

一生わすれない

異質であるものを一生わすれない

 

それがあなたがしたい

自分虐殺

やさしくする対象はそれではないだろ

 

っと

いってももうきこえない。